アーシングは大自然との交感なのかも知れない

アーシング外ヨガは今年第1日目、2日目、と書いて来ましたが、実はその後も毎朝続いていて、こりゃ雨じゃない限り秋まで毎日続くな‥と思っていたら今朝は大雨、さらに昨日職場からお仕事の依頼が来て多分連休明けからまた少しの間事務バイト生活になるので、さすがにその間は時間的に無理。やっぱり「やりたいこと」「好きなこと」は出来る時にやっておくのが正解と、多忙だった4月を振り返って改めて思ってます。

 

 

外でヨガすることによって得られるエネルギーは、裸足の足裏から身体に取り込まれる地球からの自由電子だけでは多分ないと実感されたことは既に書きました。それはおそらく森林浴とか登山とかの時にも皮膚や五感を通じて感受出来る大自然の無尽蔵なパワーであり、ウレタン底の靴を履いていても、あるいはおそらくゴアテックスのウエアを着ていても尚、自然と人間との間にやり取りされるエネルギーというものはきっとあるに違いないということを、冬じゅう毎日やった室内アーシングヨガと、ここ数日の屋外アーシングヨガの違いによって

 

身体が理解しました。

 

 

実はアーシングは交感だと半年以上前に恩師PTから言われていて、その時には意味がわからなかったことが、今回急に腑に落ちた気がしたのです。

 

 

人は大自然の中で生まれ、大自然の一部として進化する過程で、自然環境と何らかの交感をすることでエネルギー調整できるように造られて来た。文明的な生活は、自然と人とのエネルギ―交感の一部を遮断し、そのことが現代人が抱える心身の様々な不具合に繋がっている。アーシングという概念は、大自然の中で自由電子が生物にもたらす恩恵というピンポイントに着目し、その部分に特化して、失った繋がりを取り戻そうという試みだと言えるかも知れない。でもそれはあくまで大きなシステムの中の一部であって、アーシンググッズはもちろん、アーシングという概念そのものも、大自然という大きな全体の仕組みの中では限定的な気づきに過ぎないのかも知れない…

 

(ちなみに交感というのは対人的なものだけじゃないという指摘も以前に恩師から受けていたのですが、それも正直その時は意味わからなかった。とりあえず対人的な交感については以前にこちらにも書きました。)

 

 

まあ、そんなこんなを改めていろいろ考えさせられた、庭アーシングヨガ生活・2シーズン目の始まりでした。

 

で、今日は雨だから久しぶりに室内アーシングヨガ(アーシングヨガマット使用)かなぁと、オットがテレビを消すのを辛抱強く待ちながらこれを書いていたら、なんと外が晴れて来た!\(^o^)/

 

 

というわけで、今日も結局、庭アーシングヨガ、行ってきます!

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